ドリーム・シェアリング

“ドリーム・シェアリング”の看板の下に、5坪程の小さな店が佇んでいた。
夢の共有──なんとも胡散臭い商売だ。
最近SNSで噂に挙がっていたので、(もしかすると僕の悩みを取り除いてくれるかもしれない)と僅かな希望を胸に訪れてはみたが、店主が蝶ネクタイに紫のスーツと来たもんだから眉唾物だ。

「ようこそドリーム・シェアリングへ。どのような夢をお探しでしょう?」
紫の男は満面の笑みで、ファイリングされた資料を幾つか取り出した。
「どんな夢でもいいよ。」
僕はその資料の束には目もくれず、紫の男の元へ押し戻した。紫男は手際よく資料をしまう。
「なるほど。“見たい夢がある”のではなく“他人の夢を体感したい”ので、当店にお越しになられたのですね?」
「いや、そういう訳ではないのだがね。」
「というと?」
「僕は予知夢を見るんだ。」 
紫男は目をパチクリさせた。
予知夢というワードに驚いたのか、僕の返答が“当店にお越しになられた理由”の答えになっていないからかは分からない。
そこで僕は言葉をついだ。

「というのもただの予知夢じゃない。起きてから寝るまでの、一日の出来事を全て再現してしまっているんだ。分かるかい?僕は夢で起こった出来事を、現実でもう一度体験しなくてはならない。」
「つまり、二度同じ一日を送るのが嫌なので、ドリーム・シェアリングで他人の夢に書き換えたい、と言う用件ですね?」
「そうだ。」
「ふぅむ...。」
紫男は顎に手を置き、考え込むような仕草をした後に言葉を続ける。 
「お言葉ですが、予知夢通りに行動しなければ、二度同じ生活を送る必要性は無くなるのでは?」
「そこなんだよ。僕にとって予知夢はデジャヴなんだ。」
「デジャヴ?」
紫男は再び困った顔を見せる。
「つまり、起きた時には覚えてないんだよ。予知夢の内容を。でも行動すると“この場面は夢で見たな”と認識する。いつも取らないような行動をしてもやはり既視感が襲ってくる。
まるで、予め出来事が決められてるような気分だ。」
紫男は「哲学本が書けそうですね。」と笑ったが、僕が終始辛辣な表情なのを確認すると、決まりが悪そうに咳払いをした。

「とにかくどんな夢でもいいんだ。予知夢さえ消えればそれでいい。」
「分かりました。それではストレス解消の念も込めて、可愛らしい猫ちゃんの夢を上書きしときますね。」
紫男は今度は気色を伺ったらしく、真顔の僕を見て、頭を下げた。
「冗談はお嫌いなようで。」
「“二度目”だからだよ。」

理由を納得した紫男は、さっさと施術に移ることにしたらしく、その後の会話は業務的なものだった。

夜になると、期待と不安から中々寝付けずに、僕は酒をあおっていた。 
不安というのは、施術が失敗したんじゃないかという不安だけではなく、予知夢を見なくなった後、現実をダイレクトに受け止めなければならなくなるという不安だ。
今になって施術を後ろめたい気持ちが垣間見ていた。

次第に眠気が僕に覆い被さり、意識を脳みそから吸出していった。
また夢が近付いてくる......。


アラーム。太陽光。朝。そして、見慣れた天井。

これが他人の夢の中?
それとも既に目覚めた現実?

どちらにせよ僕が、洗面台の鏡に映るパンツ一丁の男を、この僕だと認識している時点で、施術の失敗は明白だ。他人の夢など見た覚えはないし、ここが他人の夢ではないのも明らかだ。
バカにされた!
心中怒りが込み上げてきた僕は、理性的にズボンを履いてドリーム・シェアリングへと向かった。

着くや否や、紫の男目掛けて怒号を挙げる。
「金を返せこの詐欺師め!」
「やはり来ましたか。」
紫男は笑顔を緩めずに、客人用の椅子に座るよう進めてきたが、僕は拒んだ。

「やはり?ふざけやがって。言っておくが僕は一度たりともお前を信用していなかった。
上手く騙せたと思うなよ。」
「貴方は勘違いをなされている。私の話を聞いてください。」
「いいか、幾ら弁明しようとしても無駄だ。お前は施術中の説明で、“効果は一日で出る”と言っていた。今さら条件を付け加えようとしたってそうはいかないぞ。」
「偏執的ですね。そんなことは言ってませんよ。
私が言いたいのは、貴方は予知夢など見ていなかったという事です。」
「なんだと?」

一度落ち着くためにと、紫男は再び椅子を進めてきたので、今回は従う事にした。
「まず始めに、今は“夢”ですか?」
「わからん。」 
紫男はふむ、と頷いて続ける。
「貴方はいつから予知夢を予知夢だと認識していましたか?」
「わからん。物心ついた時からこうだった。」
「やはり。」
紫男はテーブルの上でろくろを回しながら説明を始めた。
「いいですか、夢という物は、その中にいる事を認識するのは極めて困難なのです。
貴方のように生まれつきそのような性質の方なら、尚更夢と現実を混沌としてしまうでしょう。」
「つまり何が言いたい?」
「貴方が予知夢だと思っていた方が“現実”で、貴方が現実だと認識していた方は“夢”なのです。
つまり貴方は夢の中で現実をトーレスしていた。」
「馬鹿な。」
すると紫男は、猜疑的な僕に一枚の紙を突きつけた。そこには殴り書きされたような文字がある。
 
“施術は、貴方が今を現実だと認識してから行います。”

その後に、僕の筆跡でサインがあった。
「施術前にサインして頂いたものです。見覚えは?」「ある。」
紛れもなく。
「その後施術なされましたか?」

その後、僕は、施術を?

「...していない。僕は、二度目だと認識出来なかった...。」
「そうです。“一度目”なので貴方はデジャヴを感じなかった。そして施術せずに家に帰った。
なのに今、行われていない施術に文句を言われている。つまり“二度目”では施術した記憶がある。ここで貴方の夢と現実は完全に解離された。」
紫男の言う通り、今が一度目なのは明白だ。しかし僕は食い下がらなかった。
「だとしても、こっちが予知夢かもしれないのは事実だ。」
「それは今日証明できますよ。」
紫男は、見覚えのあるファイルの束を僕に突きつけた。
「さて、どの夢にします?」
僕は紫男が言ってる意味が分からなかった。
“どの夢にします?”の意味は分かるが、前後との脈略が理解不能であり、考え込んだせいで、僕の言葉は喉元を通る前に詰まった。
ようやくでた言葉が「は?」だ。

僕の台詞に怒りの気色があったにも関わらず、
男は笑顔を崩さない。
 
「貴方が“昨日の二度目で施術した”というのに、一度目に影響が出てないのは、貴方が夢の中で施術したからだと私は考えています。
つまり、今、一度目で施術をして結果を出せば、こちらが現実だと、証明されるという訳です。」

反論の余地はなかった。
彼の言うことは正しい。
だが何故か、僕の中で釈然としない何かがあった。

「さて、どの夢にします?」  
僕は暫くの沈黙後に鼻を鳴らし、ファイルを手に取った。  
「そうだな...。この可愛らしい猫ちゃんと戯れる夢にするよ。ストレス解消にも良さそうだ。」
「良いですね。この夢は男性に大人気なんですよ。なんせ夢の提供者が女子高生だから。」

思わず笑みを溢した僕を眺めて、紫男は言葉をつぐ。
「ようやく私のジョークで笑ってくれましたね。一度目は自然な笑顔が見られるので嬉しいです。」

しかし、紫男のこの一言が僕の時を止めた。
紫男は墓穴を掘ったのに気づいたのか、初めて顔を強ばらせた。僕はすかさず詰問を投げ掛ける。

「何故“二度目”に僕が笑わなかった事を知っている?」

紫男の顔はドンドン強ばっていった。姿勢も強ばって、丸まっていった。目が大きく見開き、顔や耳がつり上がってきた。体のあらゆる箇所から、スーツの上からも、短い毛が生えてきた。

紫男は紫の猫になった。

紫猫の雄叫びとも取れる鳴き声と共に、世界が歪んだ。空間がひび割れて、欠けていく。
重力が上下に激しく働き、僕の体を揺さぶる。

ここは一度目か、二度目か、夢か、現実か。
僕の考える全てが視覚化され、目の前を占領し、一気に弾けとんだ。

眩しい。
瞼が開くと共に、あらゆる五感が流れ込んできた。
僕は目覚めたのだ。

「どうでした?夢の中で夢を見る男の夢。
かなりレア物だったでしょ?」
紫色のスーツを着た男が、僕の頭のに取り付けられていた装置を手際よく外す。
「あぁ、凄くリアリティがあって、まだこっちに現実味がないよ...。」
「あはは」

僕はドリーム・シェアリングで夢を見ていたんだ。
目覚めた今となっては、“一度目”も“二度目”も夢の中だったと分かる。それほど目の前が鮮明だった。

それにしても夢は面白い。
あんなにも五感が鈍い虚偽の世界なのに、その中が現実だと疑えない。まあ、感覚が鈍っていて気づけないという線もあるか。
ふと、夢の中で聞いた、紫男の台詞が脳裏をこだました。

「夢という物は、その中にいる事を認識するのは極めて困難なのです。」
 
不鮮明である冷気が、僕の背中を撫でていった気がした。