少年と画家の男

男は嘆いていた。
この世界は美しくない。四方八方、コンクリートや鉄の塊だらけ。申し訳程度に添えられた植物たちは人工物。こんな偽物に俺は騙されない。

男は怒っていた。
仕事は殆ど機械化され、脳にチップが埋め込まれた我々に学びは不要。今人類は何をなすべきか?
答えはeasy。芸術だ。
なのに自称芸術家どもはこの偽物の世界を描いて満足している。実に下らない。偽物を映しても偽物にしかなり得ない。

男は悩んでいた。
俺は旅をしている。本物を描く旅さ。人里離れた場所にあるヤマやウミ。新鮮な空気。本物の植物。
芸術の真意がここに集結している!

...なのに何故だ?筆が進まない。こんなにも俺の心は満たされているハズなのに。

男は画材であるI-PATプロをリュックにしまい、宿を探しに町へ戻った。
芸術は一日にしてならない。焦ってはならないのだ。 
そう自分に言い聞かせ、人工的に挽かれた川を跨ぐ、人工の橋を渡ろうとするとき、彼は...いや、男は驚いていた。

人工物に囲まれた偽物の中に一つ、本物よりも美しいブロンドヘアーを靡かせた少年が橋の欄干に腕をかけていた。まるで砂漠にある湖に酒が入っていた気分だ。

男の熱い視線を感じ取った少年は、条件反射で反対方向へ歩き出した。男は急いでそれを追う。
「待って待て待て!にいちゃん!待ってくれよ!」
「な、なんですか。」
振り返った少年の顔は美しかった。
恐らくコンピューターに容姿の黄金比を算出させると彼の顔がでてくるだろう。
人類が全員彼のクローンだとしたら、フォトショップで容姿を修正する仕事はこの世から消えてしまうだろう。
出会い系サイトのプロフィールアイコンが彼の顔であれば、男でも...いやいや、この辺にしておこう。
とにかく、美しい。この一言に尽きる。

「君をモデルにしたいんだ!絵の!」
「僕を?」
「そう!」
「そう...」
「そう!!」

男の熱意に少年はたじろいでいた。
この眼差しから逃げるのは雨をよけるくらい難しい。

「困ります。もう暗いし、帰らなきゃ。」
「だったら明日また来てくれ!ここに!いや、ここじゃなくてもいい、どこなら都合が良いかな?」
「じゃあここでいいですよ...。」

男は正確に時間を約束し、その場を去っていく少年が見えなくなるまで、女性のように艶やかなブロンドの後ろ姿を眺めていた。


翌日、男は約束の時間より一時間も早く現地についた。逆に少年は約束の時間より30分遅れてきた。

「うわ、本当にきてる...」
「待ったぞ少年よ!いや、気にしなくて良いんだ。早速始めよう!」
「僕は何をすれば...?」
「いてくれるだけでいいんだ!待ってる間、本を読んでてもゲームをしてても構わない。ただ見える範囲にいてほしい!」
「は、はぁ...」

男はI-PATを開き、水彩絵の具のツールを使い、てを動かしだした。自然物に囲まれている時以上に彼の筆は進んだ。
少年はその間、ぼーっと川を眺めていた。
絵を描いてる時の男は無口だった。

やがて日は暮れ、解散し、次の日にまた集まり絵を描きはじめる。そんな日々が3日ほど続いていた。
少年はふと疑問に抱いていた事を口にした。

「写真じゃダメなんですか?」
「え?」
「いや、僕の容姿を残したいのなら写真でも同じなんじゃないかなと...I-PATにカメラ機能はあるでしょ?」
「面白い事を聞くな、少年よ!
写真は偽物さ、あれは物質の表面を写してるだけにすぎない。中身を描くことは不可能なのさ!」
「え、でも描きたいのは容姿なんじゃ...?」
「では少年よ、また明日会おう!」

いつもは僕が帰るまで待つのに、男は逃げるように帰っていった。僕はそれがおかしくて笑みが溢れた。

製作が一週間に差し掛かった頃、少年と男はすっかり打ち解けていた。
前より話す時間も長くなり、男の絵の進行速度も相対的に遅くなっていた。しかし、男はそれでもいいと思っていた。
道中を楽しむのも芸術だから、気長に描こうと...
とんだ誤算があるとも知らずに。

「今なんて?」
「だから、引っ越すんです。」

男は顔面蒼白になっている。
絵は完成間近だった。 

「どこへ?」
「うんと、遠くです。」

少年の素っ気のない返事に、男は呆気に取られた。
男の腕はいつの間にか、少年の服の裾を掴んでいた。
「それは困る、困るんだ!」
男は必死に言う。それが効果的だと思ったから。
でも少年の想いは違っていた。

「それは、絵が完成しないからですか?」
男は黙った。一瞬心臓を捕まれた気がした。
少年は、男の手を振りほどき、悲しげな顔を後ろへ向けた。金色に靡く髪の毛も男には止まって見えた。

「違う...」

少年は橋の反対側へと歩き始めた。
コンクリートの橋に響く、無機質な足音に初めて嫌気を覚えた。

「違う!!!」

男は叫んだ。少年はまだ近くにいるのに、町の端まで届きそうな声で叫んだ。 
コンクリートの足音が止まった。

「俺は君に惚れたんだ!見た目なんかじゃない、本質的な部分にさ!」

「違う!!!」
少年は振り返り、もっと大きな声で叫んだ。
目には涙が溢れていた。

「あんたは何もわかってない!僕の事を!」

「分かってるさ!君は本物なんだ!
最初は見た目の美しさかと思った、いや、そこしか見ていなかっただろう。でも一緒に過ごして分かったんだ!!君は本物だ!俺がずっと探していた、ヤマやウミにもなかった!!」

「わかってない!わかってない!わかってない!!! 」

叫べば叫ぶほど少年の目から涙が溢れた。
そして少年は、自分の右腕をもいだ。
「なっ...!」
男は驚いた。
少年の腕は、導線で繋がれていた。

「わかったでしょ、これが僕だ!」 
少年は“アンドロイド”だった。
「そ、そんな、そんなハズ...」 
完全に想定外の出来事に、男は次の言葉が出てこなかった。
少年は涙で濡れた顔で無理矢理笑みを作った。

「あんたはずっと、本物に拘っていた。機械を嫌っていた。でもあんたが本物だと言い張ったこの僕は、“ニセモノ”だったんですよ。」
「ち、ちがう...なら、ならその涙は、君のその感情はどう説明するんだ ...!」
「全部プログラムされたニセモノですよ。僕が悲しいと思い込んでるだけで、ほら、この涙も舐めて見てくださいよ。全然しょっぱくない、見てくれだけのただの水分だから」

そう言いながらも少年の涙の量は増えていった。
痛みを感じると涙が出るようにプログラムされているから、その痛覚すらもプログラムされたものだけど。と、そう少年は納得していた。
その納得すらも、自我による物ではなく、基盤の上で組み立てられたものだと、そう納得しようとしていたのだ。

俄然涙が溢れだした。
男は少年を強く抱き締めた。
「君は人間だ。悲しくて、涙している。それは、人間なんだ。俺は君のそこに惚れたんだ。」
少年は抗わなかった、男の胸の中で反論した。
「違う、あんたが惚れたのは見た目でしょ。それも、容姿の黄金比から算出されたものだから、当たり前の結果なんだ。僕はニセモノにしかなれないんだ。」
「君はホンモノの人間だ。」
「違う。ニセモノだ。ニセモノなんだ...」

そこからは水掛け論にしかならなかった。
結局、答えの出せないまま、少年は帰っていった。
なんでも少年は一週間限定の“試験起用”だったらしく、この一週間のテストで量産されるか否かが決められる手筈だったらしい。だが、右腕を失って帰ってしまっては、結果が目に見えているだろう。

その後男は、自宅をヤマに移した。
近くに川があるし、ウミも見える喉かな場所だった。

移住を決めたとき、機械的なものは全て都心で売り払ったのだが、唯一I-PATだけは持ってきていた。
そして今、男はI-PATに保存されている“あの絵”を眺め続けている。

その未完成の絵は、男には完成品のような気さえもした。