色んな仕事


天候は良好。気温もそう高くなく、気持ちの良い風が吹き抜けていた。
今日は釣り日和だ。
釣りの道具とクーラーボックスを両手に山を少し登った所にある川へとやってきた。
仕事に追われる毎日を忘れるにはこの喉かな自然の中誰にも会わずに有給休暇を楽しむのが一番だろう。

そうして、良いスポットがないかと川岸を歩いていると他の釣り人がいるのに気づいた。
ちょうど何かが竿にかかっていたみたいなので暫く眺めてみると、糸の先には黒い長靴が引っ掛かっていた。
それをみてげんなりとする釣り人。
少し漫画チックで面白い光景であった。


僕はその男から数十メートル離れた場所を陣取り、川に糸を垂らす。
後は折り畳み式の椅子の背にもたれ掛かり獲物が掛かるのを待つだけだ。
すると、5分もかからない内に竿に反応があった。
なんだ、幸先が良いな。
竿を持ち上げ、リールのハンドルを回す。
こいつは大物だ。
一思いに竿を引くと、ザブンという音と共に獲物を釣り上げた。
そう、赤い模様の入った黒のスニーカーをね。

チラリとさっきの釣り人の方を横目で見てみるとこっちを向いて笑っているような気がした。
自分も恥ずかしさを誤魔化す為にニコリと微笑んだ。
糸からスニーカーを外し釣りを再開すると、さっきまで数十メートル離れていた釣り人が手を伸ばせば触れれるくらいの距離まで近づいてきてから言った。

「さっき釣り上げたやつ、見せてもらってもいいですか?」

「ええ」

馬鹿にされているのだろう、コイツもさっき長靴を釣り上げていたくせに。
そう考えながら川を眺めていると釣り人がなにやら独り言を言っているではないか。

「こりゃ良いデザインだ、きっと流行るぞ。」

言い終わったあと、釣り人はこちらに頭を下げてからまた口を開いた。

「これ、譲ってくれませんか。」

「は?」

「やっぱり駄目ですよね...」

「いや、駄目とかではなく、どうするんですかそれ。」

「実は僕、靴を取り扱っている会社で働いているんですけどなかなか長靴しか釣れなくて...
このままだと失業してしまうかも知れないんです。」

釣り人は情に訴えかけてくるように言うが自分にはそもそもの意味が分からなかった。

「靴の会社なのは分かったんですけど。
長靴しか釣れないのと失業してしまうのはなんの関係があるんですか?」

釣り人が「何を言ってるんだコイツは」と言いたげな顔をして言葉を返す。

「関係ってそりゃあ、長靴だけだと売れないでしょう。」

「売るんですか!?釣った靴を?」

「当たり前じゃないですか。
まあ靴が買えないって人達は自分で釣ったりするでしょうが、同じサイズで同じデザインの靴を一人で釣ろうとしたら何十年もかかりますよ」

「作ったりしないんですか...?」

「作るって、あんな精巧な形の物を人間の手では作れませんよ...」

なんと、そうだったのか。
確かに僕は靴を作っている所を生で見たことはなかったが、まさか靴は釣り上げるものだったなんて。

その日に釣った靴は釣り人にあげて、後日会社の同僚に靴の話をしてみてもどうやら皆知っていたようだった。
世間の一般常識をこの何十年も知らなかったなんてなんとも恥ずかしい話だ。
世の中には自分の知らないことが山ほどあるんだなと思い、仕事に戻る。

それにしても最近は木が減ってしまってなかなか帽子が取れない。
麦わら帽子はよく引っ掛かっているんだけど最近のトレンドはオシャレなハット帽だったりオーソドックスなキャップだったりする。
はぁ、どこかに良いデザインの帽子が山ほどひっかかっている木は無いものかな。